宇佐神宮(大分県)を知っていますか

神社では伊勢神宮、出雲大社や宗像神社が有名です。しかしこれらの神社は天照大神や大国主命という神様を祭った特別な神社とされ、分社とか別院はあまり多くありません。(津田神社は宗像神社の系列の神社です。)
そこで多くの人のために建立されてきたのが神様ではなく、神様のしるしの旗である八幡を祭った八幡様です。高松市宮脇町にある石清尾八幡を知っていますか。お正月には多くに人が初詣に行っていると思います。この石清尾八幡のように「八幡」と名前が付いた神社はたくさんあります。香川県では琴弾八幡(観音寺市)とか国分八幡があります。全国では「八幡」という名前が付いた神社は約4万社あります。(また、菅原道真公をご祭神としておまつりする天満宮は全国に約1万2000社あります。)
今回紹介する大分県の宇佐神宮は全国に4万600社あまりある八幡様の総本宮です。場所は下記の地図を持てください。
下の写真が拝殿と鳥居です。卑弥呼の邪馬台国が宇佐にあったという説があったりして、一度は訪れたいと思っていた神社です。ただし、訪れてみると、邪馬台国は2~3世紀の話ですし、宇佐神宮の歴史は6世紀以降ですので、300年ほどずれていますし、関係ないように感じました。宇佐神宮の長い信仰の歴史は宇佐神宮の神事や祭会、うるわしい建造物、宝物などに今も見ることができます。千古斧(おの)を入れない深緑の杜(もり)に映える美しい本殿は国宝に指定されており、総本宮にふさわしい威容を誇っています。
八幡信仰とは、神様の名前を直接呼ぶのはおそれ多いと考えた人たちが、神の印である多くの旗を「八幡」と名付けた鎮守の神信仰です。応神天皇のご聖徳を八幡神としてたたえるとともに、仏教文化と、我が国固有の神道を習合したものとも考えられています。多くの人々に親しまれ、お祀りされてきた神社「八幡宮」の読み方は「はちまん」と読んだり、「やはた」と読んだりしています。この八幡というのは、8つの旗という意味です。中国の清朝を作ったヌルハチが作った軍制の「八旗」も8つの旗という意味ですが、これは1000年以上も後のことになりますから、日本の八幡とは関係ありません。日本の八幡の8は数量の8つを表すのではなく、「多くの」という意味です。やおよろず(八百万)の神などと同じ使い方です。神功皇后が三韓征伐(新羅出征)の往復路で対馬に寄った際には祭壇に八つの旗を祀ったこととかが起源のようです。
さてここからは宇佐八幡の由来からの引用が多くなります。宇佐の地は畿内や出雲と同様に早くから開けたところで、神代に比売大神が宇佐嶋にご降臨されたと『日本書紀』に記されています。宇佐八幡は、八幡大神(応神天皇)・比売大神・神功皇后をご祭神にお祀りし、神亀2年(西暦725年)、今から約1400年前に創建された、非常に古くから親しまれてきた神社です。
御祭神である八幡大神さまは応神天皇のご神霊で、571年(欽明天皇の時代)に初めて宇佐の地に ご示顕になったといわれます。応神天皇は大陸の文化と産業を輸入し、新しい国づくりをされた方です。八幡神が祀られた6年後の731年(天平3年)に神託により二之御殿が造立され、宇佐の国造は、比売大神をお祀りしました。三之御殿は神託により、神功皇后は母神として823年(弘仁14年)に建立されました。
八幡大神の御神徳は強く顕現し、三殿一徳のご神威は奈良東大寺大仏建立の協力や、勅使・和気清麻呂(わけのきよまろ)公に国のあり方を正してゆく神教を賜ったことで特に有名です。皇室も伊勢の神宮につぐ第二の宗廟としてご崇敬になり、勅祭社16社に列されています。このように日本の歴史のいろいろな場面に出てくる神社です。ぜひ、一度訪れてください。(丸山豊史)