簡単な自己紹介

本年4月より経営学部でお世話になっている村山です。経営戦略論や中小企業論等を主に担当しております。このブログを執筆するのは初めてですので、今回は簡単な自己紹介をいたします。

出身は埼玉県所沢市です。団子や狭山茶が名産で、思い返すと団子屋が沢山ある街だったように思います。所沢市には海がないこともあり、高松に引っ越してきた直後は、海の香りがすることが非常に新鮮でした。海といえば新鮮な海産物が食べられる市場のイメージがありますが、高松に来てからまだ行けておりません。もう少し涼しくなったら行ってみたいと思います。

趣味は散歩です。見知らぬ場所を歩き回り、街の雰囲気を肌で感じることに楽しさを感じています。そこから派生して、最近では日本庭園をめぐるのも趣味になりつつあります。見知らぬ場所を歩き回るのを楽しむ一方で、見知った場所を無心で歩き回るのも、頭が休まるように感じられて好きです。用事がなければ家を出ないことが多い性質ですが、この趣味だけは続けていきたいと思っています。

研究では、事故や事件の当事者になった企業の説明対応に関する問題を扱っています。より具体的には、当事者になった企業が発信した内容は社会にどのように受け入れられていくのかという問題を中心に検討しています。他にも検討したい問題が残っているので、一つ一つ取り組んでいく所存です。

引き続きどうぞよろしくお願いいたします。

村山 昂

掲載日:2024.09.06

台鉄路線をほぼ完乗しました

5泊6日の日程で台湾に行ってまいりました。今回の目的は、単に「台湾鉄路(台鉄)の乗り鉄」で、台中を拠点にして、合計で台湾2周半程度の距離を乗りました。そこで、今回の話題は「台鉄乗車の印象」となります。
話の前提としての台湾島の大きさについては、九州島から佐賀・長崎県を覗いた部分とほぼ同じとイメージすればよく、台北を福岡、台中を熊本、高雄を鹿児島、台東を宮崎、花蓮を大分あたりに置き換えれば都市の配置はわかりやすいと思われます。これら都市を、台鉄の路線である西部幹線(基隆~枋寮、約460km)、南廻線(枋寮~台東、約100km)、東部幹線(台東~八堵、約320km)が環状に繋いでいるのです(なお、支線として平渓線、内湾線、集集線などがあります)。
そして、日本のJRの状況とは大いに異なるのが、新幹線に例えられる「台湾高速鉄道(高鉄)」の開業後も、並行する西部幹線には多数の長大編成の特急列車が「台湾半周はアタリマエ」という長距離運用形態で運行されていることです。
乗り鉄のために今回使用するのは「台湾高鉄・台湾鉄道特級5日ジョイントパス」、台鉄は5日間、高鉄が2日間、特急列車を含めて乗り放題となる外国人向けの切符です。この切符は3,600元(2024年現在、1元≒¥5)と格安なのはありがたいのですが、泣きどころは、高鉄の方は日本でネット予約できるのに、台鉄の予約は、台湾入りした後の現地の駅窓口でしかできないことです。おかげで金土日曜では、予定していた列車がすでに満席で、スケジュール変更を余儀なくされたこともありました(台鉄の大半の特急列車は全席指定です)。
乗車した特急列車は、どれもほとんどの区間でほぼ9割程度の乗車率(例外的に平日の東部幹線、南廻線で5割程度)で、ビジネス用務よりも行楽・観光での利用が多数と見受けられました。この乗車率はJR各社の状況と比較すると盛況という他ありませんが、これでも以前よりは空いているらしく、このことには、近年の新型特急EMU3000型の投入による輸送力増強も要因の一つであるようです。ただし、個人的には、この新型特急の座席は薄っぺらで、長時間の乗車では腰や尻が痛くなり、座り心地は従来の客車タイプの車両の方がよほどよいと感じました。
車窓から見える景色は、混雑度も相まって、期待したほどではなかったです。大雑把に表現すると、西部幹線の大都市付近は高層ビルや集合住宅ばかり、郊外は工場や田んぼばかりでちっとも面白くなく、東部幹線は田んぼと畑、そして未利用地(ジャングル)、時々集落といった感じで、南廻線のみが海あり山ありで風光明媚という言葉に値します。ちなみに、4月の地震の影響は、花蓮付近で多少の徐行があった程度で、発生直後の日本での報道イメージほどではなく、花蓮駅も観光客でごった返していました。
台鉄有人駅の窓口営業時間は、多くの駅で6:00~24:00で、最近のJR各社とはえらい違いであり、各駅にも列車内にも職員が多数配置されており、情報を問合せるのに苦労はありません。経験した範囲では、まさに「住民のための鉄道」という好印象を持ったのですが、反面、さすがに職員数が多すぎるのでは、と懸念しました。帰国後に調べたら、案の定、かつての日本の国鉄のように近年の収支は大赤字で、その改革のために、この1月、政府運営の形態から公営企業に改変されたとのことです。
今回の昼食と夕食は、主に「台鉄弁当」を食しました。同弁当は80元とか100元で、コンビニでパンなどを買うよりはよほど安くておいしい食事になります。さらに、主要駅の改札口付近には、無料の給湯器が配置されており、飲み物もわざわざ買う必要がありません。このため、今回の乗り鉄はほとんどお金を遣わないで済んだのですが、さらに、台中駅付近でたまたま「華圓池上飯包」という店舗を見つけてテイクアウトしたところ、同様な値段でこちらの方がよりおいしかったので、この類いの店は探せば、他にもいくつかあるのかもしれません。
最後に、乗り鉄の間、駅でも列車内でも、日本語は耳にせずじまいでした。往復の飛行機でも日本人は全体の1割以下で、投宿したホテルでも日本人に会いませんでした。昨年の出張時でも同様な傾向にあり、つまり、現在の各観光地の賑わいは、外国人にあらず、台湾人が大半を担っているようです。我が国の観光地がインバウンド頼みになりつつあるのと対照的ですね。今回で台鉄全路線の93%を乗り潰したわけですが、残る区間はどうしましょうかね。

https://taiwan.tabitabi-asia.com/ より引用。

正岡利朗

掲載日:2024.07.12

ボーイスカウト運動について

6月1日(土)、日本ボーイスカウト香川連盟の2024年度年次総会に、高松第15団の団委員長として出席しました。
このボーイスカウトは、1907(明治40)年にイギリス本島の南に位置するブラウンシー島で、イギリス人のロバート・ベーデン-パウエル卿が主催したキャンプからスタートしたと言われています。卿は、将来社会に役立つ人間に成長することを願い、20人の子供たちとともに、この小島で実験キャンプを行ったのです。自分のインドや南アフリカでの体験から、様々な野外教育を通じて、少年たちに自立心や協調性、リーダーシップを身につけてもらいたいと考えていました。
日本には、1908(明治41)年にボーイスカウト運動が伝わり、全国各地に色々な少年団が数多く作られましたが、その後、全国的な統一結成への動きが起こり、1922(大正11)年4月13日に「少年団日本連盟」が創立され、ボーイスカウト国際事務局に正式加盟し、世界の仲間入りを果たしました。
このボーイスカウトは、次に示すように、年代に応じて5つの部門を設けており、大学生はローバースカウト部門になります。

(ボーイスカウト日本連盟公式サイトより抜粋)

1950年に創立された香川連盟は、現在13個の団、331人(2024年度)で構成されており、連盟長は高松松平藩第14代当主、松平頼武様です。このような中、高松大学の学生は、2012年に発足した高松第15団の一員(ローバースカウト)として、玉藻公園に隣接する松平公益会の清掃奉仕、キャンプ事業の支援、あるいはボーイスカウト広報活動の支援などで活動しています。現在の学生数は、経営学部4名、発達科学部6名の計10名であり、ローバー隊長は経営学部の奥田直希先生です。目下の悩みは、1、2年生がいないことです。
今回の総会では、審議に先だって各種の表彰が行われましたが、公務で参加できなかった連盟長、頼武様の代理として、ご子息の副連盟長、頼昌様より表彰状がわたされました。表彰状を受け取ったカブスカウトやボーイスカウトなどの小さな隊員の皆さんの、誇らしそうな表情がとても印象的でした。一方、2023年度から少子化の影響などで、登録者、特にカブスカウトの登録者が急速に減少していることが大きな問題となりました。これまでボーイスカウト運動が果たしてきた役割を考えると、その損失はあまりにも大きいものに思えました。
高松大学の関係者の皆さまにも、このようなボーイスカウトを取巻く状況の変化をご理解いただき、ご協力を賜われれば幸いです。

末包 昭彦

掲載日:2024.06.18

正解はどこに?

大きな事故や事件以外、あまり驚かなくなった。高齢者に分類される歳を目の前にして、経験値が上がったからなのか鈍感力が増したからなのか。いずれにしろ昔のようにポリグラフの波形のような感情になることは少なくなった…と思っていた矢先の1月某日、「…なんと!ホンマか !?」と、久しぶりにたまげてしまった。
玄関前にキッチンカーで出店していたリバプールさんに行列しカツサンドとコーヒーをPayPayで支払ったとき、一緒に並んでいたM君が放った何気ない一言。「そういえば昨日テレビで言ってたんですけど、最近の若い人はQRやバーコードじゃなくて、現金で支払うことが多いんだそうですね」。私からみると十分に若いと思う彼が言う「若い人」って、つまりは10歳代後半~20歳代?周りでサンドイッチの出来上がりを待ってるこの人たちが…?
“人生幸朗(じんせい こうろう)”師匠なら「責任者出てこい!」と絶叫し、“おいでやす小田”さんなら「コラ~!」と大声を出すに違いない。だって、若い人は大多数がスマホ決済でしょうに!若人代表を自負するコメンテーターも「現金を持って外出したことなんて、もう何年もありませんよ」なんて公共の電波で豪語してるし。

そんなときに見つけたのが、日経クロストレンド(2024.1.9)に載っていたこんなデータ。
消費者約3万人に実施(2023.7)したさまざまな持ち物データや価値観の調査の中の「よく利用している電子マネー・電子決済サービス」の項目にある「『電子マネー・電子決済サービス』を利用している」と回答した人を男女年代別にまとめたもの。ならすと、利用しているのは男性60.4%で女性59.5%。5年前と比較すれば男性は微増なのに比べ、女性は5%ほど増加しているそう。
「SuicaからPayPayへ 5年で変わった調査データで見る電子決済」マクロミル ブランドデータバンク

確かに20歳代男性の数値は極端に少ない。でも、同年代の女性は多いぞ! 実際、スーパーやコンビニで財布を開いている若人の姿はあまり見かけないような。地域差もあるのかな。そもそもがASPサービスなので母体は何だろう、等々。元データにアクセスできていないので、残念なことに未だM君の一言に首肯できない状態。皆さんならどう考えますか?

あなたの経済圏は?
iPhoneの日本上陸を機にauからsoftbankへ乗り換えて以来、私の主な経済圏はソフトバンク。例えばショッピングサイトはYahoo!ショッピングでスマホ決済はPayPay、キャリアはY!mobile、旅行はYahoo!トラベル。ポイ活はPayPayポイントの自動運用で、今日(2024.5.17)の運用損益は+54.31%(!)。どのサービスにも結構満足している。

400mトラックなら第3コーナーを回ったカーブ。加速し、最後の直走路に繋ぐ勝負所。そんな人生100年時代の終盤に差し掛かっているのに、時代は先が見渡せず正解を得られない。現金でも電子決済でも何でもいいので、波風の立たない誰にでも優しい世の中であってほしいものだが…無理やろなぁ。

平畑博人

掲載日:2024.05.18

ハラカドとオモカド

ゴールデンウィークに東京に行っていたので、マスコミに取り上げられていた「ハラカド」に行ってみた。ハラカドとは2024年4月に原宿に新しくできた商業施設で、地下には銭湯もある(2024年5月6日現在、銭湯は近隣住民のみしか利用できないので残念ながら入れなかったのだが)。建物は地下1階、GF(グラウンドフロア)、1階、2階、とつづき、7階までの全9フロア。1・2階は物販中心で従来型の商業施設のイメージ。3階は物販スペースもあるものの、FMラジオ局のレンタルスタジオや、企業のショールーム、会員制カフェなど物販以外のスペースが占めている。目を引くのは4階から上である。4階はリラックス空間とでも呼ぶのだろうか。カフェがあるだけで、あとは壁や床に絵が描かれていたり、木の置物があったり、椅子がおかれて購入した飲み物を飲むという、ただそれだけのスペース。5階はフロア全体が飲食店。そして6階は飲食店が入っているが、緑豊かな森を思わせる外部空間が半分ほど占めている。一番上の7階はテラスが半分以上。
つまり、神宮前交差点という都内でも屈指の立地で地価がとんでもなく高い場所(おそらく1平米あたり500万円くらいか?)の施設でありながら、地下に銭湯(料金は520円で東京の他の銭湯と同額!)があったり、モノを売るスペースは半分程度という、常識外れの「商業施設」となっている。正直、「これでどうやって儲けるんだろう?」と思ってしまう。

神宮前交差点を挟んで「オモカド」がある。こちらは2012年に開業した商業施設で、世界一の朝食が食べられる店舗が入っているなど、ハラカドと同じく、開業当時、マスコミをにぎわした商業施設である。ハラカドとオモカドは、神宮前交差点を対称点として建物の雰囲気もよく似ているので鏡に映したようにも感じられるが、その中身はハラカドとは全く異なる。上層階の飲食店を除くとテナントは基本的には物販の店舗が中心で、いわゆる典型的な商業施設である。開店前にオモカド前に大行列を作っていたと推測されるBTSのPOP-UPにいたArmyたちを除くと、ハラカドのにぎわいとは異なり、施設全体でみるとオモカドのほうは少し落ち着いた感じの人の入り具合である。

2012年にできた施設と2024年にできた施設。ちょうど干支が一回りして、消費の在り方が大きく変化したことをオモカドとハラカドは如実に表しているのではないだろうか。「コト消費」という言葉がよくつかわれるが、供給側はモノを売るのではなく、体験を売るにはどのような商業施設にしたらいいのか、ハラカドにはその試行錯誤が感じられる。たとえば銀座にある物販中心の商業施設のいくつかは、立地が抜群であるにもかかわらず閑古鳥が鳴いている。そのためテナントが集まらず閑散としており、それがさらに客を離れさせるという悪循環になっている。ハラカドには、「そういう商業施設にはさせないぞ」という開発者側の強い意志を感じるというと言い過ぎだろうか。
現時点のハラカドとオモカドの人の入り方の違いは、もちろん、ハラカドのほうが最近できたばかりだからという理由が大きいだろう。しかし、今やあらゆるモノがネットで買えるので、物販を中心とする施設は、集客はかつてほど容易ではない。オモカドの人の入り具合は少なからずそのような消費行動の変化が影響しているのではないだろうか。他方、体験を売るということは、わざわざそこに行かなければ消費できないということであるから、その場に行く理由が存在する。さらには人と人の交流を促す場として商業施設をとらえているようにも感じ、ハラカドは現代の消費行動を背景にしたチャレンジングな商業施設なのだろう。人の集まるところ・交流するところに情報が集まり、ビジネスが生まれる。今後、ハラカドはいったいどのような情報を発信してくれるのだろうか、楽しみである。

ちなみに筆者自身はハラカドよりもオモカドのほうが面白さを感じた。体験ベースという点でいうと、その意味では筆者の中ではハラカドよりもオモカドに軍配が上がる。オモカドは2012年から施設としてシジュウカラの営巣に取り組んでおり、成功したのはこれまで3回。そして今年は2年連続、営巣に成功し、それを入口の階段に大々的に宣伝している。これだけ聞くと、「だから何?」となるのだが、当事者はいたってまじめに取り組んでいる。フロアごとに営巣プロジェクトに関するいろいろなコメントが書かれており、その本気度がじんじんと伝わってくる。こういう、表参道のど真ん中で、枠にはまらない奇天烈なことを、何年にも渡り、いたってまじめにやる。そういうの、面白くないですか?

藤原泰輔

掲載日:2024.05.10