必ずしも“質問する=積極的”ではない!

学位記授与式が終わり、現在は、新年度を迎えるための準備中です。

新入生及び保護者の皆さんは、4月2日の入学式を楽しみにされていることでしょう。私たち教職員も、皆さんにお会いできることを心待ちにしています。皆さんにとってこれからの4年間が実り多き日々になるよう、精一杯サポートしていきたいと思っています。

大学は、学びや経験の積み重ねのなかで、自分自身を深く知り、自分と自分にかかわる周囲の人々を幸せにできる力を獲得する場所です。高校までと違い、自分で探究し、自分の考えを自分の言葉でレポートにまとめ、発表する機会が増えます。教員から教わることもありますが、ときには自分ひとりで文献とじっくり向き合い新たな知識を得たり、友人や教員とのディスカッションを通して新しい視点やアイデアに気づいたりすることもあります。主体性を身につけ、学びの多様性を存分に経験できる4年間となるでしょう。

ところで、高松大学に異動して2年が過ぎようとしています。授業をするなかで、少し気になっていることをつづりたいと思います。

試験前になると「先生、この授業の試験範囲ってどこですか?」「どうやったら、単位がもらえますか?」と質問に来る学生がいます。試験範囲や評価方法は授業中に伝えている(欠席者にも対応すべくGoogle classroomにも情報をアップロードしている)にもかかわらず、です。なんでだ?

ある時「どうしてそんなこと聞きにくるの?」って逆質問すると、「高校の時、先生に質問に行くと、積極的だと評価されたんです。大学でも、点数アップしてくれますよね!?」と意識高い系のドヤ顔で答えてくれました。

絶句。。。いや、違うよ。

「質問する=積極的」という考えは必ずしも正しいとは言えないのです。質問することは大切だし、質問する勇気も認める。分からないことを放置することのほうがマズイですから。しかし、やみくもに質問すればよいわけではありません。

何を質問するのか(質問内容)や、質問に至るまでに自分で解決しようと努力したのか(質問に至る経緯)も大切なのです。

授業で何度も伝えた内容を、質問に来る行為。それは、勉学への意識が高いのではなく、授業を聞いてないということを自ら立証しているだけかもしれません、ね。

髙塚 順子

掲載日:2024.03.26

学会での大会実行委員長で沁みたこと

昨年11月24日~26日まで、レグザムホールの小ホール5階多目的会議室玉藻にて、「日本コンピュータ化学会2023秋季年会in高松」の実行委員長を担当させていただきました。
https://sites.google.com/view/sccj2023au/top
これまで、いくつか、イベント責任者等をこなしてきたつもりでしたが、学会の大会運営はそんな程度ではなかったです。今回、骨身に沁みたこと、書いてみます。

  1.  うどん県だけじゃない、高松で開催するということ
    大会に向けて、準備しなければならないことが日々山積みになっていきます。優先順序を付け、提出書類を忘れないよう、ホームページおよびメールチェックを1日何度となく・・・楽しいけれど、学生さんがよく言うところの「へこむ」症状が出たり、出なかったり。
    それでも、始まってみると、全国からお集りいただいた方からの「うどん屋に1日で〇軒まわった」とか、「瀬戸内のお魚は美味しい」、「多島美を体感した」などの感想をうかがいながら、何よりしっかり議論する場を提供できたかなという気持ちが持てると、あの日々の踏ん張りは無駄ではなかったか、とも思えていくのでした。
  2.  ネットワーク?アンテナを張る重要性
    この1年間?なんせ、「どうしたら、高松での学会、成功させることができるでしょうか?」を、やたらと聞いて回りました。それぞれの立場の方が、私をある意味で「わらしべ長者」のように次のステップへ導いてくださいました。個々人のお名前を出すことは控えますが、本当に感謝しています。そして、何より、素直に聞いてみると、世界は広がるんだ!を実感していきました。ネットワーク?アンテナを張る、これは本当に面白く、重要なことです。
  3.  最後は人です
    2につながることですが、集ってくださった皆様に感謝します。そして、そこには、朝早くから、夜遅くまでの準備を一緒に走ってくれたスタッフにも感謝します。映画のエンドロールで、こんなにたくさんの人、企業、組織等が関わっているの?と感嘆すること、ありませんか?私は多方面からあらゆる人に助けてもらい、まさに、この気分を実感しました。


神部 順子

掲載日:2024.02.08

還暦同窓会についての個人的感想

当方も還暦に達し、昔のことを懐かしく思うお年頃となったのですが、好都合なタイミングで高校の同窓会(同期会)の案内が往復はがきで来ました。当方が卒業したのは千葉県立東葛飾高校で、県立高校にもかかわらず、私服で校則もなきに等しく、自由を大いに満喫しました。そんな高校でしたので、返事は脊髄反射的に「出席」で出しました。

その同窓会は、昨秋の休日に高校所在地の千葉県柏市で開かれたのですが、会場に到着したときから、当方には違和感がありまくりでした。一見したところでは、誰が誰だか全然わからないのです、まぁ、月日は40年以上流れているわけで、無理もありませんが。悪い人相になったヒトはほとんどいませんが、それにしても、基本的に若いときの面影が見いだせず、目に光がないヒトが多く、年よりじみて、果ては妖怪のようになってしまっているヒトとかもいて、本当にジジィ手前の集まりでありました...。

そして、かつて3年生で所属したクラスごとに丸テーブル席につきました。隣に座ったのはわりと知っているヤツで話が弾んだのですが、後は親しくないヒトばかりでした。出席者全体の名簿を見ても、知らないヒトがあまりにも多いのです。これはなんとしたことなのでしょうか。そのうちに、一人30秒程度での自己紹介タイムが始まりました。

これを聞くと、出席者は首都圏で働く(働いていた)会社員のヒトがほとんどで、自分と同じような研究職のヒトとかはほとんど参加していないことが判明しました。また、健康面については、かなり多くのヒトがなんらかの基礎疾患を抱えているとのことで、隣に座ったヤツなどは、糖尿、高血圧その他を抱えているのにヘラヘラしているので、「怖くないのか?」と聞いたら、「もう慣れた、なるようになるさ」という返答でした。

そして、2次会に突入して、新たに同席したヒトたちより、今回の同窓会の開催経緯が聞けました。なんでも、同期のFacebookグループが存在するとのことで、今回の出席者はほとんどがこれに所属しているとのことでした。つまり、普段から連絡を取り合い、それなりの人脈を形成しているヒトたちが、コロナも明けたし、そろそろ同窓会でもやるかという話になって、幹事団が選出され、連絡もFacebookを通じて逐次スムーズになされ、それに幹事の一人より往復はがきで連絡が来た当方のようなヒトを一部混ぜたとのことでした。なるほど、当方が知らないヒトが多数であったのはこれで合点がいきました。

高松に帰った後、当方が会いたかった方々数名に連絡を入れたのですが、皆、「同窓会があったのか!」と驚いていました。そして、「キミは連絡が来たら出たか?」と尋ねると、「いいや、恐らく行かない」との回答でした。今回、当方が主に会いたかったのは、高校当時、同じく理系コースに所属して切磋琢磨した仲間で、現在も第一線で研究職や技術職に就いている方々でした。大学生の頃と同様、彼らと最先端の技術課題やその解決アプローチなどについて意見交換し(実際には教えてもらい)たかったのです。しかし、鈴木信行『同窓会に行けない症候群』(日経BP)によると、彼らは現在も仕事が忙しいが故に、同窓会などに参加するヒマはないとのことです。

なるほど、確かにそうかもしれませんね。さらに同書によると、昭和の時代では、右肩上がりの成長により、多くの勤め人が胸を張って同窓会に出席できましたが、低成長が続いた平成の時代では、出世も困難で、自信を失ったヒトも多くなり、同窓会がそもそも成り立ちづらくなっているようです。してみると、同期卒業生361名(卒業後の死亡者は数名確認されているようです)のうち100名程度が所属しているFacebookグループメンバーの大半(80名程度)が出席した事実より、我が同期生の卒業後の状況は比較的ましと考えられるのかもしれません。

ここに至り、当方は、自分が、同窓会を単純に、牧歌的に捉えていたことを思い知りました。まぁ、何事も自ら経験してみると、実情が具体的に理解できるので、よい経験値UPにはなったのですが、ならば、今後、同窓会が再び開催されたら自分は出席するかというと、やはり、行かない側に回りそうです。同窓会という形式は、人数が多く、やたら騒がしく、ゆっくり話もできないので、それよりは、会いたくなったヒトに個別にアポを取って、会いに行った方が相当ましと思った次第です。

その際の話題ですが、今後は、年齢的に仕事についてはフェードアウトしていくので、趣味が中心となるでしょう。現在の自分の趣味は、まず、「旅行」と答えるのですが、その内容は「離島訪問、B級グルメ、温泉、車中泊」などとなります。続いて、「ホームシアターでの昔のアニメを中心とする映像鑑賞」があります。「PC」も自作するぐらいだから趣味に数えてよいでしょうね。そして、「サイクリング」、これは今でもちゃんとトレーニングしているので、胸を張って言えますよね。忘れていたのが「鉄道模型」、大型レイアウトは未だ制作していませんが。他に、「読書」としては、軍事、鉄道、恐竜とか、いろいろなジャンルの本を集めています。さらに「麻雀」や「クイズ」も、趣味に数えられるかもしれません。

とりあえず、自らの趣味を思い起こしてみましたが、我ながらわりと多趣味ですね。この程度あれば、会いたいヒトたちと数時間意見交換するのは容易だと思われるのですが、果たしてどうでしょう?そして、同窓会でも、このような情報提供の工夫があれば、その後の交流促進に繋がったかもしれませんね(各種SNSで勝手にやれ、と言われそうですが)。

正岡 利朗

掲載日:2024.01.19

大学祭

11月11日(土)12日(日)は大学祭でした。浮穴ゼミ3年生は、フランクフルトの模擬店を出店しました。

2020年からのコロナ流行が残した影響は大きく、高校や大学での実践的な活動の経験が少ない学生がみられますが、企画段階の紆余曲折を乗り越え、準備に奔走し、しっかりと利益を得ることができた喜びは、経営学の実践として何物にも代えがたい経験になりました。

様々な授業における学修が腑に落ちただけでなく、体験を通じて改めて様々な課題意識を持ったのではないかと思います。新たな気持ちで勉学に取り組んでいくものと期待しています。

浮穴 学慈

掲載日:2023.11.22

夢みてますか?

 ある曲の歌詞の一節。

♪苦しさの裏側にあることに眼を向けて
夢をみてよ どんな時でも
すべてはそこから始まるはずさ

 先日、ある友人と話をしていたら、「そろそろ仕事を辞めようかなと思っているんだけど、どう思う?」と聞かれた。話を聞いていると、結構な仕事量をかかえており、それを一つ一つ処理していくことがそろそろしんどくなってきた、とのことである。ふと立ち止まって、「何のために仕事をしているのだろうか」「何のために生きているのだろうか」と、改めて疑問を持ったのかもしれない。

 少し前、僕はある治療を受けるために病院に入院した。部屋は4人部屋。僕の治療はそれほど大げさなものでもないので、わずか1泊2日の入院ではあったが、他の3人の方はそうでもないようであった。隣のベッドの年配の方は、気管切開をしており声が出せないので、僕との会話も小さなボードを介して行った。食事をするときも夜寝るときも四六時中しんどい様子がカーテン越しにうかがえる。

 「悩みは尽きない、生きているんだもの」とは相田みつをのことばである。仕事をしていてしんどい時もある。病気になって目の前が真っ暗になることもある。生きていて苦しくなることもある。そのような時はどうしたらいいのだろうか。

 私事になるが、80歳半ばを過ぎた僕の母は、国が指定するある難病を患っている。現在、母は東京に住んでいるが、先日、体が動けるうちに存命である兄弟や友人に会いたい、生まれ故郷である高松をもう一度この目で見ておきたい、とのことで、東京からJRを使って高松に来た。その際に受けたJR社員の方々からの素晴らしいサポートについてはまた機会があるときに書きたいと思っているが、普段、あまり動くことができない母が、高松に行きたいと思うようになってから、「なんか、元気が出てきた」「体が少し動くようになった」と話すようになった。母曰く、主治医からも「最近、いい表情をしている」と言われたそうである。

 東京と高松を往復することは、普通の人であれば、それほど大変なことではないが、母の現状からするとそれは現実離れしたことであり、それこそ夢みるほどのことである。そのような夢をみること、そしてその夢を叶えようという意志が、母を活き活きさせたのだろうか。

 大学で経営学を教えていると、理論だのなんだのと小難しいことを話したりする。学部4年生の卒業論文や修士課程の学生の修士論文についてアドバイスをしていると、「まずは目先のことを一つ一つ確実に進めていこう」などと言ったりもする。仕事をしていて現実的な対応をすることを意識することもある。つまり「先のことを考えても仕方がない、目の前の現実の課題にきちんと取り組んでいかないと」という考え方には一理ある。

 だが、そのような考えになっている時においてこそ、改めて真逆のことを問いかけるべきである。「夢みてますか?」と。香川県のあるベンチャー企業の社長は、非常に保守的で変化を嫌う業界を対象に事業を行っているが、将来を見据えて「業界を変えるんだ!」と息巻いている。ベンチャーで働いている人が活き活きとしているのは夢みているからである。「夢みる」を英語で言うと“Build Your Dreams”=BYD。中国の電気自動車メーカーのBYD社は、この「Build Your Dreams」の頭文字をとったものであり、まさに同社も夢みたからこそ、急速な成長を成し遂げたのかもしれない。

 冒頭の歌詞を見て、誰の何の曲かがすぐに分かった人は、日本がまだ夢やロマンを持っていた、歴史的にも日本が最も輝いていた時に、若い時代を過ごした年齢層の方であろう。いまの若い人たちが、はちきれるほど夢みることのできる時代が再び来てほしいと願うばかりである。すべてはそこから始まるのだから。

藤原 泰輔

掲載日:2023.11.21