現場と脳感覚

僕のゼミに所属する学生の一人が、卒業論文のテーマとして出身地に近い地域の活性化を検討したいとのことである。この学生は、香川県の西のほうの出身で、検討したい地域は地図上では県境に近い、かなりの山奥である。
僕は当該エリアの近辺まではドライブで行ったことはあるので、対象地域に関してなんとなくのイメージはあった。しかし卒業論文の作成過程においてきちんと検討していくためには現場を見る必要があると思い、実際に行ってみることにした。

自分が持っているイメージや地図から想像するに、対象地域は山ばかりだと思っていた。車で走ってみると、もちろん谷間の集落ではあるものの、意外な光景を目にする。かなり平地があり、田んぼが目に付く。少々有名なお寺があり、そこの駐車場に車を止めて外に出たところ、空気もさわやか。道も急な坂はほとんどなく、かなり緩やか。歩いても快適である。小川もあり、学生が言うには、夏は蛍も楽しめるらしい。それはそうだろうなと思う。なにせ水を汚すような要素は何もないのだから。
山は緑深く、立派に木が育っている。学生は林業を起点に活性化できないかと考えているのだが、それも含めて、やはり実際に現場を見ると、活性化に向けたアイデアが出てくる。それが実効性のあるものなのかどうかはもちろん今後の検証が必要である。

地方の田舎町が活性化した例としては徳島県の神山町がよく取り上げられる。この町は全域に光ファイバーが敷設され、東京から国の出先機関がきたり、最近ではアントレプレナーの育成を目指す学校が開学するなど、何かと注目を浴びている。そこで、高松からもそれほど遠くないので、参考になるアイデアが浮かぶのではないかと思い行ってみた。
意外な光景を目にする。神山町は思っている以上に都会だった。道の駅には県外ナンバーの車が何台も駐車している。平屋ではない鉄筋コンクリート造りの建物もある。お店もある。都会にあるエンターテイメント系のものは見かけなかったが、少なくとも日常生活を送る分には困らない基盤が整っているようである。昔はいわゆる“限界集落”だったのかもしれないが、もうすでにいろいろと人の手が入っているのだろう。

言い尽くされてはいるが、百聞は一見に如かず。現場を見ることの大事さ、それを改めて痛感する。現場を目で見て、脳で感じる・イメージすることがある。「肌感覚」ならぬ「脳感覚」と言うものだろうか。もちろん、そこには何らかの問題意識や、ものを見る視点があるからこそ感じるものがでてくるのであって、漠然と見るだけでは何も感じないし、脳で何かイメージが形成されることもないだろう。
この、現場を見て、そこから何かを感じ、イメージが具象化・焦点化されていく感覚は、人間だからこそのなせる業であり、今はやりのAIやChatGPTでは難しいのではないだろうか。AIなどは「百聞」どころではなく、膨大な量の情報を「聞いている」のだが、人間の「一見」がもたらすこの感覚を持つことはない。そもそも感覚を持たないので当たり前か・・・。

それにしても、神山町に行くときに通った国道193号線は、聞いてはいたものの、実際に車で走ってみると、運転の下手な筆者にとっては相当のスリルを感じさせる国道だった。対向車が来ないことを祈るばかりであったが、日頃の行いが良かったのか(?)、対向車が来たのは1回だけであった。僕は神山町方面に行ったので途中で国道439号線に入ったが、さらに南のほうに行く193号線はもっと「酷道」なのかもしれないなぁ・・・。と、ここでうだうだと書いても仕方がない。これも実際に現場を見れば済む話である。

藤原 泰輔