はじめまして。この4月から本学で勤務しております山下博武です。どうぞよろしくお願いします。
本ブログの趣旨が「経営学部教員が日々の取組みについて、ちょこっとつぶやく」ですので、若干の自己紹介と4月から大学教員として授業をしたり皆さんとお話したことを通して考えたことを書きます。
まだ授業を担当していなかったり接点がない学生もいますが、学内をちょこちょこしている小さいおじさんがいましたら私です。老け顔なので、おじさんに見られますが、実は、まだ20代ですね。
出身は、徳島県の小松島市です。港町ということもあり、釣りが好きで、肉より魚のほうが好きな性格です。
専門は、「スポーツ経営学」です。筑波大学の大学院で体育学の学位を取得しました。体育学やスポーツ科学と言えば、やはり筑波大学ですので、そうした大学で学位を取得できたことを少しだけ誇りに思っています。
実は、大学院に進学する前は、徳島ヴォルティス株式会社というところで働いていました。みなさん、ご存知でしょうか?徳島県のJリーグクラブですね。そこでは、WEBの仕事や広報の仕事を主に担当していました。こうした経験から、主にプロスポーツ組織の経営に関する研究をしています。
さて、最近、考えたことです。
本学では、スポーツ経営コースの主要科目として「スポーツ経営学」があります。スポーツ経営学の研究目的は、スポーツそれ自体の創造的発展と人々の豊かなスポーツ生活を成立させることです。何が創造的な発展なのか、どのような状態が豊かなのか、未だ困難な問いを多く抱えていますが、その対極に位置づけられる「破壊」や「貧しさ」といった観点から、問題を浮き彫りにすることは難しくないのではないかと考えています。
では、どういう事態がスポーツを破壊したり貧しくするのでしょうか。今回は、その一つの可能性として「体罰」について取り上げてみようと思います。
現在、運動部活動体罰死事件等の影響もあり、スポーツと体罰をめぐる議論が盛んになっています。例えば、教育科学研究会の編集する雑誌「教育」では、2013年に「スポーツ部活動と体罰」という特集記事が組まれています。また、文部科学省からは、「体罰根絶に向けた取組の徹底について(通知)」も出され、その中には「部活動指導における体罰の防止のための取組」の項において、運動部活動、つまり、「スポーツ」と「体罰」が深く関連づけられ問題として認識されています。
スポーツ経営学の授業を通して私が驚いたのは、こうした体罰防止に関する種々の議論、対応や処置があった、あるにも関わらず、多くの学生が「確かに私たちの部活動(中学や高校の)に体罰があった」とコメントしてくれた点です。おそらく運動部活動から「体罰」はなくなっていませんし、減っているとしても、その減少のスピードは極めて遅々としているのが実態ではないでしょうか。
これ以降、学生と折に触れて「体罰」について議論するようになりました。ですが、そもそも体罰とは何なのか、合意があれば体罰は容認されるのか、すぐさまこうした困難な問いに直面することになりました。「愛のムチ」や「殴った俺の手も痛いのだ」と言って、なにかしらの条件をつけて暴力(条件付きの暴力)を容認することは、豊かな人間生活やスポーツ文化へと結実していくのでしょうか。
こうした実践を通して、気づかされたのは、「体罰はいけないこと」と無批判に、ただ単に私は「考えたふり」をしていただけであったということです。もっと言えば、人間は容易に「分かったつもり」に陥りますので注意深さが肝心であるということです。(山下 博武)
新任教員のつぶやき:スポーツ経営学の授業実践を通して