「今日もきれいだね」

本ブログ読者諸賢、お初にお目にかかります。本年度より経営学部所属の奥田が以下お送りします。
いきなりですが、みなさん、屋島ってご存じですか?(楽天カードのCMのような始まり方ですみません)
・・・なめた質問をするなと叱られそうですが、恥ずかしながら私、香川県に住むまで屋島の存在を認知しておりませんでした(出身は京都府です)。「屋島の戦い」という語感は、記憶の片隅にあるような、ないような。とにかく「屋島」と聞いて「あぁあの源平合戦でおなじみ、台形っぽい山のことね。」と自信満々に語ることができるようになったのは、ほんの3カ月前からのことです。
最近は「今日もきれいだね」と屋島に語り掛けるのが日課になっています。運よく、私の研究室を一歩出ると、屋島を一望できる穴場スポットになっているので、そこからほぼ毎日、屋島の写真を撮っています。屋島もカメラを意識しているのか、毎日いろんな顔を私に見せてくれています。(なお、私から見えている部分が屋島の「顔」にあたるかは定かではありません。後頭部かもしれないし、お尻の可能性だってあります。もしかすると、私は屋島のお尻に毎日語り掛けているのかもしれません。その点は私の解釈次第なのですが。擬人化って楽しい。)
ちなみに、香川に来てから2度、屋島に登りました(自動車で)。屋島からの眺めは絶景という他ありませんでした。左手にはにぎやかな高松の市街地、右手には穏やかな瀬戸内海と島々、背中には屋島水族館へ向かう子どもたちを感じ、遠くには悠然とそびえ立つ瀬戸大橋が見えました。そんな風景に酔いしれながらも、その場で考えたことを、以下に備忘録として記しておきます。
地上からみる屋島と屋島からみる地上の対比は、講義中の学生と教員の関係と構図がそっくりではないか、と考えました。すなわち「地上からみた屋島」は「学生からみた教員」と読み替えることができ、逆も然り、「屋島からみた地上」は「教員からみた学生」となるでしょう。(ここでは一人の教員と多くの学生という構図を喩えたいのであり、標高の高さが暗示する上下関係のようなものを強調したいという意図は一切ありません。もっとも、そう解釈される方がいるかも?と考えること自体、的外れなことなのかもしれません。)
教員になった今、たくさんの学生と接する機会に恵まれています。地上から屋島をみるときのように、学生の視点に立つことによって、自己を相対化させることはもちろん、学生の立場に寄り添った教育を実践していくことが(至極当然のことではありますが)、教育者としての私の使命ではないかと考えています。
そして私は「今日もきれいだね」と屋島に語り掛けるのでした。

奥田 直希