何に何を残すのか?

高松大学に赴任して丸2年。初めて学部ゼミの卒業生を送りだした。彼らがこれから社会で活躍できるかどうか、これは、ある意味で私の2年間の指導が試されるということを意味する。ああ、恐ろしきかな。
ところで、私が学部および大学院で指導を仰いだ先生から、大学院修了の際に挨拶に行った時に伺った話は今でも記憶に残っている。話せば長くなるのだが、要するに「人を残すように」という話である。恩師に何かを返すのではなく、自分が教わったことを次の世代にきちんと伝えていく、それによって歴史が連綿と続き受け継がれていく、その大切さを話されていた。社会に人を残す。今年、社会に巣立った学生が、将来、社会に何らかの貢献できたとしたら、少しは人を残すことができたことになるだろう。
社会という単位のほかに「家族」という単位もある。家族を構成する一つの要素が「子供」である。子供には何を残すのか。これにはいろいろな意見があるだろうが、自分の親を例にとると、どうやら子供(つまり私)には「知恵」を残すことを意識していたようである。私の両親は、学歴はたいしたことはないが、たとえば何も見なくてもお経を唱えることができるなど、私から見ると宇宙人のような人である。そういう親から、かつて「お前は知識はあるが教養がない」と言われたことがある(今も教養がないのは変わらないのだが)。子供のころ、親から学校の勉強を教わった記憶は本当に全くないが、今になって感じるのは、その代わりに、学校では教えてくれない「人として生きる道とはどういうものなのか」「社会で生きるために必要なことは何なのか」を教わったような気がする。私が「これをやりたい」と言うと、人の道に反していない限り、すべてやらせてくれた。「習うより慣れよ」と繰り返し何度も言われた。これらは、学んで獲得する「知識」を、体験を通じて「知恵」に転化させることの大切さ、言い換えると、頭でっかちになることの危険性を教え込みたかったのではないだろうか。
家族を構成するもう一つ重要な要素が「配偶者」である。では配偶者には何を残すのか。この質問に対する答えは割と簡単である。「思い出」と思ったあなた、そんなメルヘンチックに自分に酔いしれてはいけません。やはり二文字のものに決まっている。さて、頑張って働きますか・・・。

  藤原 泰輔