プロの技にみる感性と論理

前回のブログの中でも触れられていたが、本学は“石の町・牟礼町”での“むれ源平石あかりロード”の開催を支援している。牟礼町は世界一高価と言われている「庵治石」の産地であり、牟礼町および隣町の庵治町とあわせ約250もの石材店が集積する日本でも有数の一大石材産地である。この牟礼町は2005年のNHK大河ドラマ「義経」でも取り上げられた通り、源平屋島合戦の史跡が数多く存在し、県外からも多くの観光客が訪れる。
この「義経」の放送を一つのきっかけに、牟礼町に点在する数多くの史跡を石あかりでつなげ、町をさらに元気にするために始まったのが、“むれ源平石あかりロード”である。具体的には、夏の一時期に庵治石で作成した「石あかり」を史跡のある通りに数十個配置し、夕暮れ時から灯りをともし、石から漏れ出る柔らかい光を楽しむものである。今では、毎年7~8万人の観客が訪れる人気の企画となっている。本学は十数年にわたって例年70名近い学生が石あかりロードの開催に関わっている。
ただ、新型コロナウイルスの影響により、2020年および2021年の夏は石あかりロードの実施が中止になった。そこで実行委員全員が石あかりロードを楽しみにしている人の期待に何とか応えようと考え、今年は石あかりロードの動画を撮影し、その動画を楽しんでもらう「お家de石あかりモート」という企画を実行することになった。今年のテーマは「元気な昭和」。この動画には本学の学生も出演している。5分ほどの動画がウェブ上にアップロードされているので、たとえばグーグルで「石あかり」と検索して表示されるウェブサイトで是非ご覧いただきたい。
(URL:http://www.ishiakari-road.com/
ところで、「むれ源平石あかりロード」に作品として出品される石あかりはプロの技が凝集されている。石あかりのもとになるデザイン画にはデザイナーが発信したいメッセージが込められているが、それを実際の石あかりという物理的な形あるものにしていくためには、作り手の感性と論理の両方が必要になる。石あかりには、例えばパンダが向かい合ってハートの石を挟み込んでいるような愛くるしいものから、帽子をモチーフに赤とんぼを照らすような粋なものまで、さまざまな石あかりがある。石を研磨して作り出すカーブの角度が少し変わるだけで石あかりの表情は大きく変わってくるだろう。作り手の方の話を伺うと、なぜここはこのような形で表現するのか、なぜここはこういう配置にしているのか、なぜこの部分にはこういう素材を使ってこういう研磨をしているのかなど、あらゆることに対して必ず明確な論理がある。しかもプロはその論理をいちいち意識して考えるのではなく、無意識のうちにやってのける。
感性が重要な作品であるからこそ、感性に流されることなく必然的な論理が作り手の中に明確に存在している。2次元のデザイン画に込められた意図を深く理解し、石材のプロがそれを3次元で表現していく。そこにプロの意識と技が見え隠れしている。通りに置かれている石あかりを、単に「かわいい」とか「心を癒してくれるもの」とみるだけではもったいない。そこには作り手の意識・経験・技が凝縮されている。見る側はその感性と論理を感じとる、意識する。そういう視点で見ると、物事の違った面が見えてくるのではないか。そう感じさせる晩夏のひとときであった。

藤原 泰輔