私たちが普段目にしている瀬戸内海を、「世界の宝石」と称したのは新渡戸稲造です。新渡戸は国際的な農学者、教育者で、「武士道」を著した後1920年には国際連盟の事務局次長に選ばれました。身近なところでは、1984年から2007年まで発行されたお札(五千円札)の肖像になっています。
その瀬戸内海の魅力を、早くから世界へ発信したのが、わが郷土の偉人・小西和(こにしかなう)です。小西は1911年(明治44年)に「瀬戸内海論」を発刊(「世界の宝石」はその序文に寄せられたもの)、その後衆議院議員として瀬戸内海を国立公園にすることを提唱しました。1934年(昭和9年)、瀬戸内海が雲仙・霧島とともに日本初の国立公園となり、小西は「瀬戸内海国立公園の父」と呼ばれています。
そして今や、ニューヨークタイムズを始め世界のメディア・旅行雑誌が「行くべき旅行先」として「瀬戸内」を挙げる時代となりました。香川県だけでも、2019年は「瀬戸内国際芸術祭」の開催等もあって、インバウンドを含めた県外観光客入込数は968万7千人となり、過去最多である1988年(瀬戸大橋が開通)の1,035万人に次ぐ水準となりました(香川県観光客動態調査報告)。目下、コロナ禍にあって内外の人の移動が制約されていますが、「世界の宝石」としての瀬戸内海の評価は一層高まっているように思われます。
小西が100年以上も前に瀬戸内海の環境・景観・文化財の保護や観光振興を唱えたことを思うと、その先見性や行動力に深い感銘を受けます。こうした中、来年は「瀬戸内国際芸術祭2022」の開催、2024年には瀬戸内海国立公園指定90周年を迎えます。この機に改めて、郷土の偉人・小西の功績を紹介・再認識するとともに、今を生きる私たちも瀬戸内海の魅力をさらに磨き上げ、内外に発信して行きたいものです。
- 写真提供(一社)小豆島観光協会
(蓮井 明博)