勝海舟は「人物になるのと、ならないとは、畢竟自己の修養如何にある」(『氷川清話』)と述べ、逆境のときに自分を内側から支えてくれる「修養」の大切さを説いた。思えば、空海も坂本龍馬も19歳のときに人生の転機になる旅立ちをしている。今年も数え年19歳の新入生を迎えて授業が始まった。「教育は人格の完成を目指し」「大学は、学術の中心として、高い教養と専門的能力を培う」(教育基本法)とあり、授業もこれに基づいて教養科目と専門科目がカリキュラム上用意されている。日本において「教養」が重視されたのは、1918年の高等学校令・大学令からである。それまでは「修養」が人格形成で重要な役割を果たしていた。「修養」の核心は自己修養self-cultivationであり、自ら身を修め、心を養い、自己を高めることで、他者への働きかけではない。すなわち「修養」とは自動詞なのである(西平直、2019)。日本の大学生には、理想自己と現実自己のギャップに悩んだ高校時代から、大学入試を経て現実自己に目覚め、そこから自己の社会的役割の自覚に基づく修養力が求められている。
一方、「教養」は明治期を通じて「教育」とほぼ同じ意味で使われ、他動詞としてeducationの訳語となった。大正中期に「修養」から分離・自立した教養主義は、1940年に河合栄治郎らによって完成されたが、1960年代の高度経済成長の結果、急増した大学生たちの間で大きく後退し、同時にそれまで日本社会の底流にあった修養主義的要素も薄れてエンタテイメント中心の大衆文化にとって変わった(筒井清忠、1995)。1970年代には、大卒者のグレーカラー化(ホワイトカラーとブルーカラーの中間職)が進むとともに、80年代にかけて日本の学生文化の中から教養主義が衰退し、一般教養科目が「パンキョウ」とカタカナ表記されるようになった。さらに1991年の大学設置基準の大綱化により、大学における教養教育が形骸化し、早い年次から専門教育が要求されるようになった。そして現代の大学生は、人間形成の手段として従来の人文的「教養」ではなく、キャンパス・ライフにおける友人との「会話」や交際を選ぶ傾向が強く、カタカナの「キョウヨウ」に生きているといえる(竹内洋、2003)。
本来、「教養」とは「修養」の中に包摂されて成立したもので、人から人へと伝えられていくものだったものが、学校教育の中で断片的な知識注入主義に陥った結果、人間の持つ生き生きとした修養力さえも衰退させることになったのである。これを本来の姿に戻すには人格形成の原点となる「対話」が必要である。そのため本学では、「対話にみちみちた豊かな人間教育」を建学の精神としている。本学学生諸君の19歳からの修養力に期待したい。
(溝渕利博)