当方は、15年ぐらい前に歯を大切にしなければならないと理解し、そのために以後、3ヶ月に1度、ある歯科医院へ定期検診に通っていました。毎回の内容は、歯科衛生士による虫歯及び歯周病の点検、その後、歯にフッ素を着色し、プラーク(歯垢)の付き具合をスコアにして、歯科医に報告し、歯科医による目視点検、アドバイスを得て終了という流れです。プラークスコアは毎回10~30なのですが、これはわりと良い方とのことで、このスコアを維持するべく、歯磨きに精を出し、時々、歯間ブラシで掃除をすることを習慣にしています。
このように気を付けていた歯なのですが、昨年の2月に久々に虫歯になってしまいました。そのときの衛生士によると、ごく初期であり、治療には麻酔がいらないでしょうとのことでした。そこで、翌週に予約を取り、歯科医(院長)による治療が始まったのです。当方は久々のこととてビクビクしながら治療イスに横たわったのですが、まず、必要ないとされていた表面麻酔、続いて、浸潤麻酔の注射を説明なくされました。そして、麻酔が効いた後、歯を機械で削り、仮のフタを被せて、「1週間後に銀歯を入れるのでまた来てください」となりました。
その後は、食事をする度に、治療部が激痛に襲われました。これまでの歯科治療後の記憶にないような痛みで、食事は流動食中心にして、再度、歯科医院に行くと、今回の衛生士(毎回変わる)は、「レントゲンを1度も撮られていないのですね」と不思議がっています。治療部露出後にエアを吹きかけられたら、飛び上がるほど痛く、脂汗を流す様子を見て、「神経に当たっていますね...」とのことです。
衛生士が歯科医に状況を報告すると、これまで、歯科医は説明もなく治療行為をしていたのに、ここに至っていろいろ説明します。「深くまで虫歯が及んでいた部分があったので、そこを削ったら神経に当たったようです」、「痛くなるかどうかは個人差があるので...」、「ですが、神経を抜いてしまうと、歯に良くないので、できる限り神経を残して被せたいのです」とのことです。当方にしても、可能な限り保存を望むのは同じですが、神経に当たるかどうか、前回の治療中にもう少し精密にわからなかったものなのでしょうか?そして、定期健診に通っているのに、なぜ、いきなり神経にまで当たる重症で発見されるのでしょうか?さらに言えば、実はウデが悪くて必要以上に削ったのではないでしょうか?これらのことを次々と質問等したかったのですが、すでに引き返せないところまで来ているので、今さら何を言っても、状況は改善しませんよね...。
その後、再び麻酔を打って、銀歯を被せ、治療は終了したのですが、以後は、常に治療部位が知覚過敏となってしまい、冷水が沁み、実につらいです。疲労が溜まっているときなどはその部位がズキズキと疼きます。つまり、QOLがかなり低下したことになるわけで、このことを同僚に嘆くと、「ワタシも治療のせいで知覚過敏になった」とか、「治療開始前にレントゲンはフツー取るよね」とか、多数の体験談や知識が得られました。これらをあらかじめ聞いておけば、と思っても、後の祭りですよね...。
当方がその歯科医院に通い始めた理由は、職場から近く、HP情報にも好感が持てたから、でした。院長は、自分と同年代で、脂が乗っていた頃は確かに精悍だったのですが、数年前に大病をしており、現場に復帰したのは1年ほど前です。久々に見た院長は、体幹に力が入っておらず、見る影もなく痩せ細っていました。もしかしたら、自分が生きるのに精一杯で、精密な手技を必要とする治療行為はすでにまともにできなくなっていたのかもしれません。
この一件で、その歯科医院に訣別したわけです。しばらくは歯科医院にはもう行きたくない、しかもコロナだし、ということで定期検診をためらっていたのですが、さすがに1年も経ったので、意を決して歯科医院を探すことにしました。一度通い始めると、よほどのことがない限り、他の医院には移れない、つまり俎板に乗ってしまうわけで、ここで慎重な選択が実は必要とされるわけです。
そこで、まずはネット情報を収集したのですが、残念ながら、歯科医院を評価するサイトなどはほぼ全てが、信憑性が著しく低いものであるようです。「NPO法人 日本歯科医療評価機構」という、如何にも公益的なネーミングの団体もありましたが、これも同様であるようです。そのサイトには「良い歯医者の選び方」というページもあるのですが、いざ実際に通って、治療を受けてからでないと判明しない項目が半分以上を占めています。結局、完全情報は得られないわけで、このような場合の選択には、どうしても「賭け」の部分が残ります。当方は、今回、この賭けについて、親しい医療従事者に「あなたが現在通っている歯科医院を教えてください」という手段を用いました。この手段は当初の、選択の時点ではまずまず成功しているようです。
「切実なことなのに、情報が少ないままで選び、その後の見直しをしていない」ことが、人生のさまざまな局面で見られます。しかし、この度の体験より、これらを御座なりにせず、適宜点検し、再考する態度を身に付けておくことがうまく生きるのに少しは寄与するのかも、と痛感した次第です。
(正岡 利朗)