パブリック・ヒストリーと大學の地域貢献

現在、世界で新型コロナウィルス感染症の感染拡大が続いているが、人類の歴史は感染症との遭遇の歴史であると言われている。紀元前430年にギリシアで流行した「アテナイの疫病」のことがトウキデイデスの『戦史』に記されており、日本でも奈良時代の景雲3年(706年)に讃岐等で「飢疫」が発生し、「天平の大疫病」(735年~737年の疱瘡(天然痘))では「死者多し」(『続日本紀』)と書かれている。平安時代には、疫病流行(994年)に対して「公卿以下庶民に至るまで門戸を閉ざして往還せず」(『日本紀略』)と、自宅の門戸閉鎖と外出自粛の慣行が国民の間に定着していたことが分かる。また、政府が生活困窮者のために米や塩、布や綿、銭などを支給する「賑給(賑恤)」政策を行っていることも、現在と同じである。これらの諸現実を踏まえて、古人は「日の下に新しきものなし」(There is nothing new under the sun.)と言った。『旧約聖書』伝道の書1-9には「かつてあったことはこれからもあるであろう。太陽の下に新しいものは何一つない」と記されている。

歴史学には、大學を中心として専門家が知識の体系化をめざすアカデミック・ヒストリーと、専門家が一般の人々と協働しながら日常生活の中で歴史実践を積み重ねて開かれた歴史学をめざすパブリック・ヒストリーの2つがある。後者は公共歴史学・公衆歴史学と呼ばれ、歴史を「考える」だけでなく、「する」ことが重視され、最近注目されている。アメリカの歴史家ヘイドン・ホワイトHyden Whiteは、近代に形成されたヒストリカル・パスト(HP:歴史学的な過去)は、それまで普通の人達が所有してきたプラクテイカル・パスト(PP:実用的な過去)を排除して成立したという。このうち後者の多くを語らない人達の「沈黙の歴史」を「書く」という行為で炙り出していくのがパブリック・ヒストリーの手法であり、ライテイング・ヒストリーの役割であるといえる。

近年、大學には青年の学びと大人の学びに応えていく役割が期待されている。本學でも、地域連携センターの公開講座や學外からの講演依頼も多く、特に現地学習講座は受付と同時に満員となるほどの人気講座となっているが、今後ともパブリック・ヒストリーの考え方に基づいて講座・講演の内容をより充実させながら、地域社会からの要望にも応えていかなければならないと考えている。(溝渕利博)