高松大学に赴任してはやくも二年が経過した。月日の経つのがはやく感じられるのはそれだけ私が年を取った証拠でもある。この二年で三年生から引き受けたゼミナールの学生をこの三月に社会に送り出した。中国から学びに来ていた大学院生もなんとか修士論文を書かせ、無事に修了させた。二年間という短い付き合いであったが、私にとってはとても良い学生たちで、彼らには感謝している。社会に出ても元気で活躍してほしいが、たまには連絡をしてほしい。私は大学の教員としてはとても恵まれており、ゼミナールの学生には苦労させられたこともあるが、教えてもらったことも数多くある。30年以上に渡って卒業生を送り出しているが、この間私自身を成長させてくれたのも学生たちであった。
さて、この二年で私が教育以外に研究面で何をしたかと問われると、日々の仕事に忙殺されて正直人に堂々と言えるほどのことはしていない。ただ、経営とは分野が異なるが、高松大学に赴任後現在も樋口一葉について研究している。纏まった形での成果はまだ出していないが、彼女が一時期荒物屋を経営していたと知って、昨年執筆した教科書のコラム欄でそのことについて紹介した。彼女を取り上げた理由は、かつて大学院に在籍していた頃に生活費と学費を稼ぐ手段として学習塾で教えていた場所が現在の一葉記念館と近かったことや私が大学時代に教養教育を受けたキャンパスの隣に樋口家代々の墓地があることなどを偶然知って一葉に興味を持ったことである。特に一葉が東京都台東区竜泉の同記念館の近くで荒物屋を営んでいたことは私が彼女の生涯を調べる直接的なきっかけとなった。
結局、一年も経たずに経営はうまくいかなくなり閉店に追い込まれるが、ここでの見聞が後の小説執筆に活かされることになる。これについてはあまり知られていないが、彼女は24歳という年齢でその短い生涯を閉じたが、亡くなる14ヶ月あまりの短期間に代表作のほとんどを書き上げたのである。なかでも最高傑作と言われる『たけくらべ』は荒物屋を経営していた頃の見聞でもって書かれたと言われている。人間はやる気になれば、短い時間でもそれなりのことができるということを一葉から学ばせてもらった。学生諸君は大学で4年間という期間が保証されている。もちろん、専門的な勉強も大事であるが、勉学以外のことも十分にできる期間でもある。その期間を有意義に過ごしてほしいと思うし、私自身も時間を無駄にすることなく、新年度を迎えて何かに全力で取り組みたいと決意を新たにしている。(井藤 正信)
赴任二年を経過して