どこでスポーツを行うか?

ハワイでの新婚旅行中、私たちは夜明けのビーチでヨガを楽しみました。美しいビーチに太陽が昇る、その光景はとても美しいものでした。身体運動の最中に「感動」がありました。

人々にとって感動体験は、貴重で重要なものであると考えます。それがヨガというある種のスポーツ行動中に発生したことは、考察すべきことがらが含まれているように思われます。

スポーツ活動中、人々は自らの身体が思いのままに動作した際、感動することがあります。
ですが、私はヨガに求められる運動動作を上手に遂行できません。ここで、重要な点は、私たちが「夜明けのビーチで」ヨガを楽しんだということだろうと思います。

考えてみると、スポーツをする/したい人々は、「どこでスポーツを行うか」という問いに直面しています。けれども、この問いは自明のこととされているように思われます。例えば、サッカー部員は「グラウンドで」と答えるでしょうし、ハンドボール部員は「体育館で」と答えるのではないでしょうか。ここで、「どのようなグラウンドでスポーツをするか/したいか」あるいは「どのような体育館でスポーツをするか/したいか」という点が問われることはあると思います。つまり、「どのような性質の体育館/グラウンドでスポーツをするか/したいか」という問いが発せされることはありますが、端的に「どこで」という問いはあまり着目されていないように思われるのです。

しかしながら、振り返ってみますと、サッカーやラグビーのような今日的なフットボールが成立したのは、人々が「校庭で」これを実施し始めたからであるということが指摘されています(中村,2001)。「どこでスポーツを行うか」という問題は、人々のスポーツ経験の内実を決定づけるような問題であることが示唆されます。

スポーツ庁が実施した世論調査によれば、人々のスポーツ実践を阻害する要因の7番目に「場所や施設がないから」が挙げられています(スポーツ庁,2018)。この調査結果をみると、「なるほど、体育館やグラウンドがないから、スポーツをすることができない人々が一定数いるのだな」と納得してしまうような気がします。ですから、「どうやって体育館やグラウンドを増やそうか」ということが問われるのだろうと思います。

ですが、どうして私たちは体育館やグラウンドでスポーツを行わないといけないのでしょうか。体育館で、そして、グラウンドでスポーツをする限り、冒頭の私のスポーツ活動中の「感動」は得られないでしょう。もっと多様な「場所」でスポーツを行うときに、新たなスポーツの楽しさが発掘される可能性があるように思われるのです。

むしろ私たちは「どこでスポーツを行いたいのか」、「どこでスポーツを行えるのか」という問いや、「ここで/あそこでどんなスポーツをどうすれば楽しめるのか」という問いについて、また、「どうして体育館やグラウンドでしかスポーツができないのか」という問いについて検討してみてもいいのではないでしょうか。
(宇野 博武)

 

【参考資料】
・中村敏雄(2001年)「オフサイドはなぜ反則か」平凡社
・スポーツ庁(2018年)「スポーツの実施状況等に関する世論調査(平成29年11~12月調査)」http://www.mext.go.jp/sports/b_menu/toukei/chousa04/sports/1402343.htm