48年ぶりの同窓会

私が高松大学に赴任して来年の3月で2年経過します。時の経つのは早いもので、あっという間の2年間でした。丸亀で生まれ、幼い頃父親の仕事の都合で九州の福岡と飯塚で幼稚園と小学校生活を送り、中学の途中からは山口県の宇部へと移り、高校だけは3年間同じ宇部の高校で過ごしました。故郷と呼べるような地を持たない私ですが、今年次のような経験をしました。

ある時、以前から気になっていたことがあって高校時代の同級生に連絡をとり、ひょんなことから福岡で開催される同窓会に参加する運びとなりました。ただ、そこに至る経緯を通じて、私にとっては高校時代の苦い思い出もよみがえりました。高校を卒業して以降、まったく連絡をとってなかったこともあり、たまたまホームページで見つけた同級生が経営する会社にメールで連絡したところ、その同級生からの返信は私の高校時代のありがたくもないあだ名での確認でした。すっかり忘れていたそのあだ名は、ある意味当時私が学校で同級生からどのように思われていたかを表しているものでした。不徳の致すところです。ただ、それによって私だと同級生も確認したわけですから、よかったような悪かったような。

ともあれ、高校卒業後は東京の大学に進学していたこともあって、宇部とは縁が切れていましたから、48年ぶりの同窓会ということです。中学時代に一緒だった同級生も参加していたため、本当に懐かしく、思い出話に花が咲くとともに、この同窓会をきっかけに宇部を訪れることになりました。私の大学時代に両親も宇部を離れたため、宇部を訪れるのも48年ぶりでした。かつて住んでした住所にはまったく違う建物が建っており、歳月の経過をあらためて実感しました。中学生の途中から高校卒業まで計5年間を宇部で過ごしたこともあって当時の風景をもっと鮮明に覚えていると思ったのですが、実際の風景は想像とはまったく異なり、当時通学路として使っていた道は思っていたよりはるかに狭く、すべてが凝縮されたような感じでした。おそらく成長するにつれて移動距離が伸び、生活空間も広がり、距離感も長ずるにつれて広がっていくため、逆に子供の頃に過ごした空間は実際は想像よりもはるかに狭いものだったということでしょう。

あらためて記憶のいい加減さを実感したのですが、思い描いていた通りの風景は高校の正門前だけでした。その時もかつての同級生と旧交を温めたのですが、建築家として活躍している者や市長で頑張っている者など現在も活躍している同級生もいるという話を聞き、自分もまだ老け込むには早いと決意した次第です。室生犀星には、ふるさとは遠きにありて思ふもの、という詩がありますが、その逆もあることに気づかされた故郷訪問でした。

(井藤 正信)