ふるさとの菜の花畑

私が小さい頃、毎日朝と夕方になると犬にトイレをさせる為と運動のために、両親が遠くまで散歩させていたので、一緒についていっていました。普段は母が散歩をさしていましたが、父の仕事が休みの日には母の代わりに散歩をしていました。私はこの頃の散歩がとても楽しくて好きでした。春は野苺を摘んで食べたり、夏は家の近くの山を越えて沢の蛍を見にいったり、季節ごとに違った楽しさがありました。また散歩のコースも毎回違っていたので毎日探検するようでたのしかったと思います。
その中でも特に印象にのこっているのは、実家のある丘の向かいの丘にあった菜の花畑です。その菜の花畑の隅にはなぜかひとつだけ石灯籠があって、春先になると一面に菜の花が咲いて夕日があたると金色に輝いていました。私たちは犬を連れてその畑の周りを廻ったり、畑の中に犬を放して遊ばせたりしていました。畑には菜の花のにおいが充満していて暗くなっても菜の花はうっすらと明るく見えました。
しかし、ある年その菜の花の咲く畑は更地になっていました。親からどうやらそこの地主が土地を売却し、住宅地になるらしいと聞かされました。その年の春、私は一人で菜の花畑の跡地へ行きました。更地になった畑には、住宅会社の幟が何本も立っていました。ただ一株の菜の花が残っていて寂しそうに咲いていました。私は子供ながらにあの光景はもうこの世には存在しないのだと思うと共に、少し腹も立っていました。
あの菜の花畑のことを思い出すともう二度と見られないのだといつも悲しく、切なくなります。私にとってあの菜の花畑が特別で大切な場所だったと今更ながらに思います。ですが、もう存在しなく悲しいような心が虚ろになるような感じがしています。多分このような気持ちは私だけが感じるのではないはずです。この世の中には変化しないものなど皆無なはずで、みんな昔からある回りの環境が大きく変わってしまい、知らないうちに故郷の輪郭はぼやけているだろうと思います。
私には世の中の変化を止めることは出来ませんが、自然の破壊を防ぐためにどのように維持改善していけばよいのか、美しい心の癒される自然を守るには人一人一人が何をすれば良いのか。美しい自然や、いつまでも変わらない風景や自然を残すことで、みんなの心の拠り所、懐かしい故郷を守っていきたいと思います。
(経営学部 4年 瀬川 豊)