「吾唯知足」―― 龍安寺の石庭にて

龍安寺の名は知らなくても、あの石庭の写真は、誰でも一度くらいは見たことがあるでしょう。英国のエリザベス女王が絶賛したことから、世界的に有名になり、いまでは多くの外国人が訪れる京都の代表的な観光地になっています。スティーブ・ジョブズも魅せられたという龍安寺の石庭とは、いったいどんな庭なのでしょうか?
龍安寺の石庭は、三方を油土塀で囲まれた、幅25メートル、奥行き10メートルの箱庭に、白砂を敷き詰め、大小15個の石を配しただけの枯山水の庭園です。15個の石は一見無秩序に並べられているように見えますが、実際には緻密な計算のもとに配置されており、庭のどの位置から眺めても、15個の石のうち、必ず1個は他の石に隠れてしまって、見ることができないように設計されているのです。それは何故でしょう?
中国では、15という数は十五夜(満月)に結びつけられ、“完全”を意味するとされています。しかし、この世には完全というものは存在せず、ものごとは完成した時点から崩壊が始まるという思想のもと、この石庭の作者は15個の石を置きながらも、完全とされる数に1つ足りない14個の石しか見えないように、あえて設計したのではないかと言われています。また、世の中には完璧なものなどない、ということを表わしている、とか、人間は完璧ではないので全てを見ることはできない、見えない石は心眼で見なさい、という意味が込められている、とか言われています。みなさんはどう思いますか?
庭の反対側に回ると、水戸光圀の寄進と伝えられている「吾唯知足のつくばい(手水鉢)」を見ることができます。つくばいの水を溜めておく中央の四角い穴を「口」の字に見立て、その四方に刻まれた「五」「隹」「矢」「疋」とそれぞれあせると、「吾唯知足」の四文字になります。
「吾唯知足――われただ足ることを知る」と読みます。
「知足のものは貧しといえども富めり、不知足のものは富めりといえども貧し」という禅の教えを図案化し、表現したものとされています。その意味するところは、石庭の石が一度に全部見られなくても、不満に思わず満足する心を持て、という戒めであると言われています。
人間は足りない部分ばかりを見て、悩みや不満を抱きがちですが、満足する心を持って、素直に受け入れれば、誰でも幸せになれる、ということでしょうか?
そのとき、連れの中国人夫婦がいった言葉が印象的でした。夫が妻に向かって、「あなたは欠点が多いけど、そんなあなたにも良い所がたくさんありますよ、ってことだね」。なるほど!
龍安寺の石庭には、人それぞれの見方、感じ方があり、それを自由に楽しめばいいんですね。
ちなみに、実はこの石庭には15個すべてが見える場所があると言われていて、最近はその場所を探す楽しみもあるようです。
しかし、それじゃ、あまりにも風情がなさすぎる。やはり私は「見えない石は心眼で見たい」と思います。(稲井富赴代)