大学教員になって

私は大学の専任教員になってからこの3月末で35年を迎えた。非常勤歴を含めるとほぼ40年になる。今から過去を思い起こせば、40年という年月は長かったような、短かったような、どちらにも思えてくるし、眼を閉じれば過去が走馬灯のように甦ってくる。現在も教員生活を続けているのに、この時点で教員生活を振り返るのもどうかと思うが、一応40年という区切りの年でもあるので、これまでの教員生活やそれに対する思いを少し述べてみたいと思う。
一般に企業(この点は公務員でも同じだと思うが)に勤めて生活費を稼ぐというのは、仕事の面白さを味わうと同時に、それに伴う苦しみを経験するとも言われている。もちろん、私は学生時代のアルバイト以外には企業などの組織で働いた経験がないので、以上のことは伝聞にすぎない。
それに反して私は教員生活で苦しんだという経験はほとんどない。大学院で研究を続けていたら、残された道はどこかのシンクタンクへの就職か大学の教員しかなかったので、特に意識することもなく、大学の教員募集に応募して運よく採用された。研究というのは、熱中すると我を忘れる部分があり、実際、大学院生活でも研究に没頭しているとあっという間に10年ほど経っていた。30代半ばで常勤の職が見つかり、大学で研究を続けることになった。大学院生活との違いは、主に給与が支給されるのと学生を指導する、つまり講義やゼミナールを担当するという点であった。
それも教えることは嫌いではなかったので、特に戸惑うこともなかったし、ゼミナールの学生との会話を楽しんだ。とにかく、研究することも教えることも面白いし、楽しいのである。天職だと思った。その思いは今でも変わらない。何しろ、楽しんで生活費も稼げるのだからそれ以上望むことはない。ただ、この4月からゼミナールの担当を外れて学生との会話が減ったのが残念である。それでも社会人になった卒業生から時々連絡をもらい、付き合いがあるのは教員ならではの喜びである。今はとにかくコロナが収束し、社会人となった卒業生と再会できるのが待ち遠しい。

井藤 正信