withコロナの時代に必要な力

1980年代、40年近く前のお話。
同じゼミの同級生に、10歳ほど年上で数日前に北京から来日したばかりのSさんがいました。1年間「日本語以外使用禁止!」の環境で詰め込んだという彼の日本語は、イントネーションに多少の難があるもののとても流暢。唯一の日本人なので必然的にゼミ幹のような仕事をしなければいけないであろう私にとって、英語も達者な彼はとても頼もしい存在でした。
顔合わせをした日の夕方、定年坂をだらだらと下りながらいろいろな話をしました(もちろん日本語で)。自分たちの国のこと、家族のこと、趣味のこと、将来のこと等々。今に至るもそうなのですが、彼の言動には驚かされることが多々あります。その日もそうで、一つ目のビックリは彼に上山下郷運動で農村に下放された体験があったこと。のほほんとしか生活していなかった私の隣に、もはや歴史の一ページとなった国策の生き証人がいることにとても驚きました。でも一番のビックリは、「今の日本はすごく発展していて見習う国だけど、もう50年もすれば中国が追い抜きますよ」と、期限を、それも手を伸ばせば届くほどの具体的な年数をあげて彼が言い放ったこと。驚きと、その自信はどこからくるのだろうという不思議さとで、その時のことはよく覚えています。しかし当時は「白猫だろうが黒猫だろうが・・・」と鄧小平が改革開放政策を始めて数年。桁違いの人口差を考えれば「あり得る話」とは思ったものの、文化大革命の混乱はまだ収束せず社会主義市場経済の方向性も不確かな時代。私は「そんな予言100年早いわ」と心の中でツッコミながら「そうなればいいねぇ」とお愛想を言い、信号が青に変わったのをいいことに「じゃあ、また明日」と分かれました。ところが、それから50年どころか30年も経たずにGDPがあっさりと中国に抜かれ、彼の言が現実のものとなったのはご承知の通り。
「あなたの常識は50年古い」だったか、昨年の2月にJR品川駅構内の三省堂で見かけたとても挑発的なキャッチコピーに惹かれて手に取ったHans Rosling他著・上杉周作他訳『FACT FULNESS』2019(日経BP)をステイホーム期間で読み返し、暫しあの日の交差点にタイムスリップしました。「できるまでやる」国がいつまでも同じレベルに止まっているはずはありません。今更ながら彼の鋭い指摘に感服です。新型コロナウイルスが発生する以前から世界は急速な変化を遂げているのに、私たちの頭の中は10年も20年も前の時代遅れの情報のままで、それを基にした思い込みを払拭できずにいます。なかなかに面倒ですが、データを最新のものにアップデートし「事実に基づく世界の見方」ができるような思考法を身につけるべし、という著者の主張は十分に納得できるものです。
ところが、そこでポイントとなるのは玉石混合した情報の存在。これをどう選択するかという肝心な問題です。数学者の藤原正彦氏は、「情報を選択する力こそまさに教養なのである」、読書により「情報や知識を教養にまで高める作業をしなければならない」と述べています(「週間東洋経済」2020/8/8-15pp37-39)。ファクトフルネスにせよ教養にせよ一朝一夕とはいきません。でも間違いなくwithコロナの時代に必要な力のように思われるのですが、いかが?(平畑博人)