穴吹川を訪ねて

10月7日に、四国第2の高峰、剣山を源流として吉野川に注ぐ、「水質四国一」の清流と言われる穴吹川に行ってきました。何故、穴吹川なのかというと、夏休みに孫たちを連れて遊びに出かける予定だったのですが、あいにく風邪をひき熱が出て行けなくなってしまったのです。何年も熱など出たことがなかったのですが・・・。という訳で、時期はずれだったのですが、来年のために一度見ておこうと思い出掛けたのです。三木町から南に真っ直ぐ南下すると、1時間足らずで穴吹川のある美馬市に到着です。とりあえずJR穴吹駅に寄ってパンフレットをもらったのですが、駅舎は中々趣がありました。穴吹川は、台風25号が日本海に抜けた後だったので、水は多かったのですが、清流には程遠い状態でした。ふれあい広場や天神の瀬、二の股の瀬などのキャンプやバーベキューなどの川遊びができる場所を偵察しながら、「ブルーヴィラあなぶき」を目指しました。ここは今春リニューアルして随分とお洒落な施設になっていました。人気があるはずです。

ここでお蕎麦を食べた後、時間もあったので更に上流を目指しました。穴吹川に沿う国道492号線です。この国道は剣山へ通じる道でもあるのです。はじめはしばらく行ったら引き返すつもりでしたが、途中で木屋平(こやだいら)まで14kmの表示が目に入り、思わず車を進めてしまいました。この木屋平(美馬市)では、昭和50年、51年に台風によって大規模な土砂崩れが発生し、また何人かの方が犠牲になりました。私は、昭和52年から筑波大学地球科学研究科で学んでいたのですが、筑波大学環境科学研究科が行った徳島県の土砂災害調査に、ドライバーを兼ねて同行させてもらいました。私の指導教授が環境科学研究科創設に尽力したこと、初代研究科長と懇意であったこと、私の郷里が香川であったこと等が幸いしました。徳島県では被害の大きかった何カ所かを調査したのですが、その内の一カ所が木屋平だったのです。訪れた現地は、ひと山、ふた山と崩れていました。それは、今まで見たこともない大きいスケールの土砂崩れでした。手元に当時の写真がないのが残念です。道路は復旧が間に合わず、通行止めの場所も沢山ありました。最近、各地で起きている土砂災害を見ると当時のことを思い出します。このような貴重な体験を木屋平でさせてもらったのです。30年以上の時を経て、再びこの地を訪れた時、当時の生々しい記憶が甦ってきました。美馬から穴吹川に沿って木屋平に行く道は狭く、車がすれ違うにも苦労する場所が多くありますが、当時と比べて道路は整備され、木屋平複合施設には美馬市役所支所や郵便局、診療所などの立派な施設が建ち、当時の面影は全くありませんでした。

しかし、複合施設に向かう途中には、当時は賑わっていたであろう街並みが、今は住む人もなく放置されたままのところもありました。ここでも例に漏れず過疎化が進んでいました。帰る時には、「ブルーヴィラあなぶき」の温泉にのんびりと入ってきました。もちろん、青春の1ページを懐かしく思い出しながらです。

(末包 昭彦)